予審とは何だったのか?旧法下の仕組みと人権侵害の闇、廃止の理由を徹底解剖
刑事裁判の歴史を振り返る際、近代日本の司法制度において最大の転換点の一つとして挙げられるのが「予審(よしん)」の廃止です。近代国家としての体裁を整える過程で導入されたこの手続は、法廷での本格的な審理が始まる前に、裁判官が密室で被疑者の取り調べや証拠収集を行い、公判へ付託するかどうかを判断する強力な制度でした。
明治期から昭和初期にかけて運用された予審は、なぜ国家権力による人権侵害の温床と批判され、日本国憲法の制定とともに姿を消したのでしょうか。現行の刑事訴訟法における「公判前整理手続」との根本的な違いや、予審が廃止された歴史的必然性を司法改革の視点から紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:予審とは旧刑事訴訟法下において、公判前に予審判事が非公開で証拠調べと起訴の可否を審査した強権的捜査手続。
- 要点2:密室での過酷な取り調べや予断の固定化による冤罪多発が問題視され、日本国憲法下の司法改革(1948年公布の新刑事訴訟法)で完全廃止。
- 要点3:現行の公判前整理手続は「争点と証拠の整理」を目的とする当事者主義の手続であり、裁判官が自ら証拠集めを行っていた予審とは本質的に異なる。
【基本構造】旧刑事訴訟法における予審判事と密室の仕組み
旧刑事訴訟法(明治23年制定の治罪法、大正11年改正法)において、予審は重罪事件を中心に検事の請求によって開始される公判前の重要手続でした。その主宰者である予審判事は、裁判官でありながら警察や検察と同様、あるいはそれ以上の捜査権限を行使し、自ら証拠を集めて被疑者や証人を尋問する権限を有していました。
予審の最大の特徴は、徹底した非公開性にあります。公開の法廷とは異なり、密室の予審廷において裁判官と被疑者が対峙する構造であり、弁護人の立ち会いも厳しく制限されていました。予審判事は事件の真相を究明するためとして強制捜査、勾留、検証、押収などを幅広く指揮し、自ら集めた資料をもとに「公判に付すべきか(公判付託)」あるいは「免訴」とするかを決定したのです。
この仕組みは、裁判官自らが疑惑を抱き、自ら証拠を暴くという糾問主義(きゅうもんしゅぎ)の性格を色濃く残していました。公判を担当する裁判官の手元には、あらかじめ予審判事が作り上げた分厚い記録が届くため、実際の法廷が開かれる前に心証が固まってしまう構造的欠陥を抱えていました。
【制度のルーツ】フランス法から継承された糾問的構造と大日本帝国憲法下の歴史
予審制度が日本の法体系に組み込まれた背景には、明治維新以降の急速な近代法典整備があります。明治政府はお雇い外国人であるフランスの法学者ギュスターヴ・ボワソナードを招き、1880年(明治13年)に治罪法を公布しました。ここで手本とされたのが、フランス刑事訴訟法における「予審(instruction)」でした。
フランスにおける予審は、検察官と警察の権力集中を牽制し、中立的な裁判官が捜査の正当性を担保するという理想を掲げて設計されたものでした。しかし、天皇主権を柱とする大日本帝国憲法下の日本に移植されると、司法官吏の権威主義と結びつき、治安維持や国家統制の強力な手段へと変容していきます。
やがて1922年(大正11年)にドイツ法制の影響を受けた旧刑事訴訟法への全面改正が行われましたが、予審制度の根本的枠組みは維持されました。治安維持法(1925年制定)の運用が苛烈を極めるにつれ、共産主義者や思想犯の弾圧において、予審は国家権力が反対勢力を長期勾留し、自白を強要するための格好の装置として機能することになりました。
【人権侵害の温床】予審調書がもたらした冤罪と長期未決拘禁の実態
予審制度が歴史的に強い批判を浴びる決定打となったのは、制度構造が生み出した深刻な人権侵害と冤罪の連鎖です。法廷に立つ前に、密室で予審判事によって作成された「予審調書」は、絶対的な証拠価値を持つものとして扱われました。
当時、被疑者は弁護人との十分な交通権(接見交通)を確保できず、数か月から数年に及ぶ「未決拘禁」のまま予審判事の執拗な追及に晒されました。公判とは違って第三者の監視がない空間で、精神的・肉体的な圧迫のもと作成された自白調書であっても、裁判官が作成した公文書であるため、後の公判廷で覆すことは極めて困難でした。
実際、昭和初期の治安維持法違反事件や疑獄事件では、予審段階で引き出された強要自白が決定打となり、公判は形骸化しました。被告人が法廷で「予審での自白は拷問や脅迫によるものだ」と訴えても、裁判長は予審判事が作成した調書を信頼し、有罪判決を下す傾向が定着していたのです。これは裁く側と訴える側の役割が分離されていない糾問主義の致命的な弊害でした。
【比較検証】旧法下の予審と現行法(公判前整理手続)の決定的な違い
戦後の司法改革を経て、刑事裁判の基本理念は国家主導の糾問主義から、当事者である検察官と被告人・弁護人が法廷で対峙する弾劾主義・当事者主義へと転換しました。これに伴い導入された「起訴状一本主義」と、後年の司法制度改革で創設された「公判前整理手続」は、予審と形式上似ているように見えて、本質は対極に位置します。
両者の構造的差異を客観的に比較したのが以下の対照表です。
| 比較項目 | 旧刑事訴訟法「予審」 | 現行刑事訴訟法「公判前整理手続」 |
|---|---|---|
| 手続の目的 | 裁判官が自ら証拠を集め、起訴・公判付託の可否を決定する | 公判期日前に争点と証拠を整理し、迅速・充実した審理を実現する |
| 主宰者の役割 | 予審判事(強力な捜査・強制処分権限を持つ) | 受訴裁判所(合議体の裁判官など・中立の仲裁役) |
| 証拠調べの主体 | 裁判官自らが現場検証、押収、被疑者・証人尋問を実施 | 検察官および弁護人(裁判所は証拠開示や争点の絞り込みを促す) |
| 基本構造 | 糾問主義(裁判官が追及者と審判者を兼任) | 当事者主義(検察官対弁護人、裁判所は中立) |
| 予断排除の仕組み | なし(予審調書などの膨大な記録が公判裁判官に引き継がれる) | 徹底(起訴状一本主義により、公判前には事件記録を裁判官に見せない) |
| 被告人の防御権 | 制限的(密室審理、弁護人の立ち会いや接見に重い制約) | 全面的保障(弁護人の関与が不可欠、証拠開示請求権の行使) |
現代の公判前整理手続は、裁判官が有罪・無罪の予断を持たないよう、証拠そのものの取り調べは公判廷で行います。事前の協議ではあくまで「何を争い、どの証拠を出すか」という交通整理を行うに過ぎず、密室で自白を引き出して証拠化していた予審とは根本的に思想が異なります。
【戦後司法改革】日本国憲法第37条と起訴状一本主義がもたらした終焉
第二次世界大戦の敗戦に伴い、日本の司法構造は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の意向と英米法思想を取り入れ、抜本的に再構築されました。その最大の礎石となったのが、1946年公布の日本国憲法です。
憲法第37条第1項は「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と規定し、第3項では「いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる」と明記しました。非公開の密室で予審判事が自白を迫り、弁護権を制限していた旧制度は、新憲法の精神と真っ向から衝突したのです。
これを受け、1948年(昭和23年)に公布され翌年施行された新刑事訴訟法により、予審制度は完全に廃止されました。代わって導入されたのが起訴状一本主義です。検察官が裁判所に事件を持ち込む際、予断を生じさせるおそれのある証拠書類や捜査資料を一切添付してはならないとするルールであり、これにより「法廷の外で裁判官が証拠を予見する」悪弊は構造的に遮断されました。
【プロの結論】予審の教訓から現代の刑事司法を見極める視点
予審という制度が過去の遺物となった現在でも、その失敗から得られた教訓は、現代の司法課題を評価する上で重要な判断基準を提供し続けています。予審の本質的な問題は、「真相究明」を名目にして裁判官の職権と捜査権を一体化させ、当事者の防御権と公開性を奪った点にありました。
現代の司法を見極める判断基準として、以下の着眼点が不可欠です。
第一に、予断排除の原則が形骸化していないかという点です。近年導入された公判前整理手続や裁判員裁判において、迅速な進行を優先するあまり、事前の書面協議が密室化し、被告人の主張が十分に反映されないリスクはないかを常に検証する必要があります。
第二に、捜査機関の可視化と供述の任意性です。予審調書が自白強要の温床となった歴史は、取り調べの録音・録画(可視化)や弁護人の立ち会い権をめぐる現代の議論と直結しています。権力を持つ側が「密室」で調書を作成することの危険性を、歴史は明確に示しています。
【予審とは】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:予審と公判前整理手続は、どちらも「裁判前の準備」ですが何が違うのですか?
A1:最大の相違点は「裁判官が証拠を調べるかどうか」です。予審では予審判事が自ら捜査し、被疑者を取り調べて証拠調書を作成していました。一方、現在の公判前整理手続は、裁判官が予断を持たないよう証拠の内容には踏み込まず、検察と弁護側の争点や提出する証拠のスケジュールを整理する手続きにとどまります。
Q2:予審制度は日本独自の制度だったのでしょうか?
A2:いいえ、元々はフランスの刑事訴訟法(治罪法)に由来する大陸法系の制度です。19世紀のフランスやドイツで確立された制度を、近代化を進めていた明治政府が取り入れました。なお、本家フランスでは司法警察の監視・捜査手続として現在も「予審判事(juge d'instruction)」の仕組みが残されていますが、権限の縮小や運用の見直しが断続的に議論されています。
Q3:なぜ戦前の裁判では予審調書を覆すことが難しかったのですか?
A3:予審判事は警察官や検察官ではなく「裁判官」であるため、法的に調書の信用性が極めて高く評価されたからです。公判を担当する裁判官も同じ司法組織の同僚が作成した記録を強く信頼し、被告人が法廷で自白を撤回しても「予審での供述こそが真実」と判断されやすい構造になっていました。
まとめ:歴史の反省から築かれた適正手続の重み
かつて旧刑事訴訟法の中核を占めた予審制度は、国家が真実発見を急ぐあまり、個人の人権や適正手続(デュー・プロセス)を軽視した際にどのような歪みが生じるかを物語る歴史的教訓です。密室での取り調べと裁判官による予断が、いかに多くの冤罪を生み出してきたかという反省が、現在の刑事訴訟法の土台となっています。
裁判員制度の定着や取り調べの可視化など、2026年の今日においても日本の刑事司法改革は絶え間なく進められています。司法の正当性を保ち、冤罪を防ぐための防波堤がどのように築かれてきたのかを知る上で、予審という制度が遺した教訓は今なお色褪せることはありません。 (出典: 予審 と は(Yahoo!ニュース))